何でも屋エンジニアのブログ

ソフトウェア関連技術、コミュニティ、日々の雑貨

委譲することが苦手

第N次無理だ仕事まわらん期をやっている。これ自体は委譲せざるを得ない状況に自分を追い込むため、そして視座を上げるために色々な課題を自分に課して意図的に追い込んでいるので別にネガティブな気持ちはないのだがさすがに体力的な辛さを感じることも増えてきた。

昨日あるタスクを誰にやってもらうかについてマネージャーと話してて、委譲したいと思っているけど踏み切れずタスクの性質的に自分たちで頑張るのも選択肢の一つにあったこともありどうしますかねぇなんて話をしていた。

その日の夜、子供から風邪をもらい体調がきつい中帰路につき、一日の体力の限界を迎えた頃にあのタスクはお願いしよう…という気持ちに自然となった。

その思考の流れとしては単にさすがに疲れた…さすがにタスクが溢れるしもっと注力したいことがあるとなったからなんだけど、なんでここまでの状態にならないとそういう意思決定が自分はできないんだろうと不思議に思っていた。

一つには、人にものを頼むのが苦手という自分の性格がある。別に自分に依頼されるのは嫌じゃないのに不思議である。

これについては、以前自分でもできる仕事を委譲するのが苦手と1on1で話した際、上司にある課題を言い渡されるときに信頼や期待をされているんだろうと嬉しくなることが多いし、僕に頼られることが嬉しいと感じてくれるメンバーも中にはいるんじゃないかという内容の会話をして、確かにと納得していた。しかしそれにも関わらずある種の申し訳なさが取りきれずにいた。委譲すること自体は上達しているものの、完璧とは言い難いし自分にとって心理的な負担を大きく伴うタスクの一つであった。

どうしてかなぁとぼんやり考えていると、委譲するという選択をある課題に対してもしくはある人に対してしたいと考えるとき、その意図が3種類あることに気づいた。そもそも仕事のベースラインの認識がちがうのでこれはあなたの仕事だからやってくださいのパターン、ある人の成長に繋がるのでやってくださいのパターン、どうしようもないので助けてくれーのパターンの3つである。もちろん得意分野が違うので委譲する(頼る)パターンもあるがこれは日常で行っているので考えないこととする。

無意識下で委譲する課題や人を選ぶときこのようなことを考えているが、いざ委譲するか否かを決めるタイミングになると単に仕事を頼むというレベルになってしまっているので、これを改めて言語化することで委譲することへの障壁を取り除けるのではないかと思い至った。そもそも最初の2つについて、期待を表明する重要性は言うまでもないので、やったほうが良いだろう。最後に関しては、この種の依頼がするということは僕が信頼している証拠であるので、それを伝えていくと良いかもしれないと感じた。

上記の内容を子供を保育園に送りながら考えていたが、今回は有効なアクションが洗い出せた気がしている。

自分が本来注力すべき課題を鮮明にするためにも、チームを強くするためにもどんどん委譲していきたいのでこれを実践していく。